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篠原鶴子

私たち50人の出産体験記/シオン発行より


 あゆ子(9才)、実加子(6才)、將聖(棋士のように「しょうせい」とそのまま読みます。1才11か月) の3人の出産、育児を経験しました。出産にしても、育児にしても妊婦さんが10人いれば、あるいは子どもが10人いればそれぞれ10色のものになる、と言われたことがあるのですが、まったくそのとうりです。

 最初の子ども、あゆ子の時は、妊娠中切迫流産(流産しかかっている状態)になりかかり3か月も入院してしまいました。退院後、妊娠前からしていたヨガを再開したのですが、ヨガをするとその帰りに必ずといっていいくらい、お腹がパンパンに張ってくるんです。ただ、お腹の張りを除けば体調は非常にいいので続けていたわけですが、周囲の夫や母は、妊婦がスポーツをすることに半信半疑でハラハラしていたようです。妊娠の8か月になって、やっと流産の不安から抜け出すことができました。そのほかのことではまったく、例えば「お産」に対する不安とか、怖いという感情もなかったんです。なかったというより、想像できなかったというのが事実でしょう。他のトラブルはありません。とにかく流産の不安を抜け出し、これで何とかなるという安心感が芽生えた時はホッとしました。

 妊娠10か月で実家のある長崎に帰り、出産しました。

 初心者妊婦ですから、出産にはいろいろありました。まず「前駆陣痛」というのがありました。おしるしの始まる前、おなかが張ったり、腰や太もものつけねが痛くなったりの分娩の準備期に当たるのですが、これを本物の陣痛と思いこんで、いち早く病院に行ったのです。しかし、看護婦さんの「これは違うのねー」という言葉と共に、あっさりと家に返されました。

 次に病院にかけつけたのは、まだ陣痛がバラバラにある時でした。この時も看護婦さんには「まだですね」といわれたのですが、入院の手続きをとってしまいました。

 5分間隔、3分間隔の陣痛は、ヨガの吐く呼吸でのがせるほどのもので、声を上げるほどのことはありませんでした。

 楽な分娩のためでしょうか、分娩が終わってすぐ、まだ分娩台にいる間に「もうひとり産んでもいいな」と思いましたし、それまで「かわいい」という感情がなかなか浮かんでこなかったのですが、産まれて初めて「かわいい」と思えましたし、この子とは一時も離れて眠れないなと思いました。

 ただ、妊娠中に考えていた、テレビドラマのような毎週どこかに出かけてという想像は、*ぴったり3時間おき に泣いておっぱいを飲んで、またすぐ寝る。その間にオシッコをしたり、ウンチをしたりという生活の中では、まったくの「おはなし」だつた事を知りました。 生後1か月までは順調でした。「ウーウー」と私を呼ぶようにもなりました。「かわいい、かわいい」で夢中でしたが、1か月が過ぎたころに、下痢気味の便に細い糸のような血が混じるのに気がつきました。「私の食べ物と関係があるな」と直感的に思ったのですが、それまでが順調だった事、初めての子どもだった事などでものすごく慌てました。

 お決まりごとのように病院回りをしました。胃腸管アレルギー(アレルギー反応の結果、*下痢・腹痛・嘔吐な どの消化器症状を呈する疾患)かなとも思いましたし、乳糖不耐症*(乳糖 が小腸で吸収されるためには、消化酵素ラクターゼでブドウ糖とガラクトースに分解されなければならないがラクターゼが不足している状態。先天性、二次姓の欠乏症がある)とも言われたのですが、しかし、どこの病院でも、はっきりした病名やその原因はわからずじまいでした。その後6か月で母乳をやめ、大豆乳を飲ませることにしました。ウンチは下痢便ではなくコロッとなりましたが、体重はなかなか増えてはいきませんでした。 体重が増え始めたのは、離乳食になってからです。歩き始めたのも、言葉が出たのも平均よりはやはり遅れました。

 2番目の実加子を妊娠したのは、ちょうどお姉ちゃん(あゆ子)が3才の頃。かわいい盛り、子育てを満喫中のころでした。そのためもあったのでしょう。覚えているかぎりでは、お腹の中にいる子どもに話しかけたのは6か月のころ、引っ越しが終わった時に「しんどかったでしょ」

 といったくらいです。極端なくらいにお腹の子どもに注意を払わないで分娩の日を迎えてしまいました。

 実加子も当然アレルギーを抱えて産まれてくるものと思っていました。というのも、実は夫がアレルギーの宝庫ともいえるほどのたくさんのアレルギーを抱えているのです。

 でも、分娩台の上で「イキミ」の練習をしたら産まれてきてしまった彼女は違いました。人よりも早く話し出し、人よりも早く歩き出し、まったく健康そのものでした。

 3番目の將聖の妊娠は、まったく予期せぬできごとでした。下の子も3才になり、そろそろ仕事を始めようかとも思っている時でしたし、体調も崩していました。おまけに、母と妹はそれぞれのトラブルの真っ只中で、すべてのグチが私に集中してきていました。

 台所に立つのもいやだったし、何もする気にもなりませんでした。最後には電話のベルに過敏に反応して、ベルが鳴ると同時に部屋に閉じこもってしまったり……。

 ストレスの固まりのような状態で、妊娠2か月半くらいから5か月の中半くらいまで、とにかく毎日が「つわり」でした。食べ物は一切受けつけない。しまいにはお水もお茶までもがだめになりました。のどを通ったのは「白湯」だけで、これで幾日か過ごしたこともありました。

 「流産するならしてもいい」

 そんな覚悟で4か月のころから「ヨガ」に通い始めました。家にいればトラブルの電話がかかってくる、これを避けるには、とにかく家の外にいなくては……。体を動かしている時はすべてを忘れることができるのでバンバン動きました。

 ポーズの最中にお腹が痛くなったり、張ることもしょっちゅうでした。が、気にとめることもなくポーズをとることに集中しました。でも丈夫でした。流産の気配もありませんでした。

 將聖の妊娠で初めて、つわりが大変なものであること、そして精神的なものが大きく関係することを実感しました。

 出産も大変なものでした。誕生の前の日の午後6時に初めての陣痛、7時には5分おきになりました。それからが一向に進まないのです。一晩中うなりました。この時、初めてヨガの呼吸でも逃せない痛さを味わったのです。「陣痛の痛さってこれなんだ」と思いました。これだったんです。

 その痛さの中で翌朝の午前5時頃、やっといきめるような状態になりました。夫は立ち会うはずではなかったのですが、手がたりずに、こまごまと助手のような感じでたち働いていました。

 いきんだら頭が出てきました。が、肩が出ないのです。3人目の出産で初めて声を上げてしまいました。それくらい大変だったんです。ただ、夫の方は大分感動を味わったようで、これから赤ちゃんが生まれる友達に、「ぜひ立ち会った方がいいよ」と、よく言っているようです。「立ち会いは絶対にしない」と以前は言っていたのですが……。

 産まれてから1か月は順調に過ぎていきました。機嫌も良く、良く寝てもくれました。が2か月目くらいからでしょうか、全身の皮膚がガサガサになり、頬はまるで湯むきをしたトマトのようになってきたのです。それでも機嫌だけは良かったのが救いでした。長女に続いての病院通いです。

 「こんなひどいアトピーは、病院でも1、2を争いますよ」とも言われました。アトピーを表す数値にIgE指数(アレルゲンの指数)と言うのがあり、普通の人で250以下が平均なのですが、將聖は4か月の時で800、6か月の時には1800もの値が出てしまいました。もちろんウンチは柔らかく、血が混じっていました。

 母乳で育てていたので、私自身が食事制限を受けました。アレルゲンを含まない食物だけを食べることが鉄則でした。お米はササニシキ、食べられるものは大根、にんじん、干しワカメ、アクのない青菜、梅干しだけです。しかも味をつけない、つまり水煮です。ご飯は1回に2膳まで。

 毎日毎日これだけの食事です。食欲のある時は、山のように野菜を煮ました。1日に大根を2本食べたこともあります。母乳を飲んでいる將聖は、日増しに湿疹が少なくなり良くなっていきました。

 制限食を始めて1か月くらいは、將聖の湿疹が少なくなることもあり、それが励みにもなって我慢ができました。

 しかし、私に食欲が出てきた時は悲惨でした。食べたいものが山ほどあるのに食べられないのです。もちろん家族は普通の食事をしています。私が作るのですが、それが食べられないのです。ものすごいストレスがたまります。上のふたりの娘たちの世話も大変です。ストレスの固まりのようになって、もうどうしようもないと制限食以外のものを食べると、將聖にワット湿疹が出るのです。

 それでも、我慢に我慢を重ねて制限食を続け、將聖は7か月ですっかりきれいになりました。「この時期だけだから」と常に思っていました。

 將聖の離乳食も私と同じメニューでした。最初のころは良かったのですが、ある時、お姉ちゃんたちの食べ物を真正面からではなしに、上目遣いに、ねたむように見上げているのを見ました。

「性格がゆがむかも……」 その晩、 私と夫は、今までになく真剣に深く將聖のことで話し合いました。この時始めて「ああ、夫がいた。ふたりでやればいいんだ」と気づきました。それまではひとりで頑張っていたのです。と同時に、息子を「普通の子」とも思えてきました。

「制限食以外を食べさせたら、湿疹が出るかもしれない。けどそれはいい。とにかく少しずつ食べさせていこう」と決心もできました。食品が増えてから病気も少なくなりました。 將聖は今1才と11か月です。スナック菓子、刺激物、卵、加工食品を除けば、家族と同じ食事で元気に育っています。

 それにしても、3人目で初めて子育ての大変さを実感しました。

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