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島袋千恵美

私たち50人の出産体験記/シオン発行より


 長女、日出海(ひでみ)6才3か月。長男、海(かい)3才3か月。私には可愛い2人の子どもがいます。妊娠中は、常にお腹の赤ちゃんと一体感を持って楽しく過ごし、出産は自分でも納得のいく、貴重なすばらしい思い出となりました。

私は結婚前から、ヨガの壱伊先生の所で勉強させていただく機会があり、その妊婦クラスの妊婦さん達を見ては、皆イキイキしていて、美しく、母になる喜びに満ちあふれていて、気持ち良さそうにヨガのポーズをしている姿を驚きとともに、その強さに感動すら覚えていました。中でも不妊のクラスにいらした方で、その時は、なんとなくとげとげしい感じの方が、妊娠して丸くなっていき、お腹が大きくなるのと比例するように美しくチャーミングになって、後光がさしているように見えたものでした。まさに母性の神秘といった感じです。

 その方が出産後、初めて赤ちゃんを連れてみえたときの幸福そうな顔が忘れられません。そうした恵まれた環境の中にいたせいか、妊娠、そして出産に関しても、すばらしいイメージしか持っていませんでした。結婚し、妊娠した時は、私も諸先輩方のように輝く妊婦をめざし、妊婦クラスに通い、ポーズをし、食事指導を受け、仲間の友達と楽しく過ごしました。お腹の赤ちゃんとよく話しをしていました。どこへ出かけるにも、お腹をさすって、「これから○○へ行くからね」という風に。今思うと、1人目の妊娠、出産は、期待と少しの不安でウキウキした楽しい時でした。壱伊先生のクラスには、週1回100%通い、何の問題もなく過ごし、分娩時の呼吸法も、自ら満足するまで練習しました。

 いざ本番。私は初めから主人の立ち会いは望んでいませんでした。やるだけの事はやり、*ひとりで頑張れる自 信はあったし、何といっても「じゃあ、頑張るからね」といって主人と別れ、次に会った時は、ニコニコした私と、隣でスヤスヤ眠る赤ちゃんがいるという風景の方が素敵で神秘的に思えたからです。主人にはどう映ったのでしょうか?自分でも驚くほど冷静で、今は分娩のどの時期にあり、どの呼吸でのがしてゆこうかなどがわかりました。呼吸に集中し、陣痛を逃し、いきみなさいと言われた時は、「コップの水を飲んでゴックン」という言葉が浮かび、ゴックンと2度飲むと、すーっと長女は産まれてきました。「やったあ]と思いました。

 1人目は個人病院、2人目は助産院を選び、少し違った出産をしてみました。家族的で、母体のこと、そして母乳のことを大切に考えてくれる助産院の方が私にはよかったと思います。とにかく満足のゆく出産をするためには、妊娠中はとても大切だと思います。そしてそれらの事は、のちのちの母子の深い絆につながってゆくものと確信しています。

長女はこれといった問題もなく順調にスクスク育ってくれています。病気もほとんどせず、本当に楽な子育てであったと思います。が、長男は生後2か月半の時、中耳炎にかかり、近くのお医者さんでもらった抗生物質を全く受けつけず、リンパ腺が腫れ上がり、10日程入院させてしまいました。まだ首も座っていない我が子が点滴につながれている姿は、胸がはりさけそうでした。母乳で育てたかったので、毎日搾って冷凍にして届けました。そして抗生物質の点滴を、昼夜といわず受け、退院後も約2週間、無理矢理飲ませ続けました。中耳炎はよくなったもののそのうち顔がカサカサになり、5か月になる頃には口のまわりを中心に、赤くジュクジュクになってしまいました。そして某病院の皮膚科で初めて『アトピー性皮膚炎』との診断を受けました。

 ショックでしたが、壱伊先生に相談すると、中耳炎で入院した時、抗生物質づけになり、腸内の悪い細菌を殺したけれど、いい細菌まで殺されてしまったのでは、とのことで、腸が落ち着いたら、きっと良くなると励まされました。併せて手足が冷たいので、「冷え」があることを指摘してもらい、体を暖めるタンポポコーヒーや柿茶のことを教えていただきました。先生の励ましと共に、妊婦の間中ずっとヨガをやり、酸素をたくさん取り入れたし、息子は自然治癒力の高い子に違いないとの確信で、そう落ち込まず、前向きに考えることができました。

 今考えると、私の母は、体が痒くなる体質で鼻炎も持っていたし、私も小さい頃、よくブツブツと湿疹ができていたのを思い返し、息子はそれらの体質を継いでしまったのでは、と思われます。8か月までは、皮膚科でステロイド軟膏をいただき、つけるとスベスベ、つけないとジュクジュクという状態をモグラたたきのように繰り返し、いくら脳天気の私でも、おかしいと気づき、卵を食べさせて吐いたのを機に、小児科へ移りました。血液検査の結果、アレルギー度を示す値は猛烈に高く、卵・牛乳・大豆・小麦・米・ブタ肉さえも食べられないことになりました。腸内がズタズタの状態なら、あらゆるタンパク質に反応が出ても当然と思い、体に無理のない物を食べさせて、まず胃腸を整えようと思いました。ショックだったけれども、ステロイドをぬったり、止めたりの時より、うれしくさえありました。母乳をどうしても続けたかったので、私も同じ物を除去して、タンパク部分を削った低アレルギー米、粟、ひえ、きび、野菜、魚のみの日々でしたが、1週間で息子の顔は、ツルツルになってゆきました。

 ここで一つ疑問に感じたのは、皮膚科では、食物関連はなく、私が卵、牛乳を控えているというと、そんな必要はないので、どんどん摂りなさいと言われたのに、小児科ではその正反対。現実の医療の現場はこんなものなのかと失望しました。私は母親として一本、しっかりとした考えを持っていないといけないと思いました。小児科でも、母乳からアレルギー用のミルクにするようにと、抗アレルギー剤の内服と、ステロイドも状況に応じては必要であると言われました。

 私はきっぱりと、母乳はやめるつもりはないし、あらゆる内服薬とステロイドは使う意志のないことを伝えました。その時の先生の「お母さん、それはある意味で幼児虐待にあたりますよ」という言葉は、グサっと胸につきささりました。逆境は人間を強くするのでしょうか、医療不信に陥っていた私は、息子の体を信じて薬の力をかりず、自然な無理のない形で治そうと心に決め、食事の療法と壱伊先生のアドバイスどおり、できる限り、太陽の下で遊ばせることをモットーにやってきました。元気で明るく、好奇心に目をキラキラさせている息子を見て、何よりうれしく思いました。

 しかし便秘がなかなか治らず、ひどい時は週1回、それも浣腸でやっと出すといったこともありました。一度悪い状態になった腸内は、よくなるのに時間がかかるけれどゆっくり治してゆこう、私は自らの除去食で、どんどん痩せていきましたが、とても平和な心境でした。皮膚状態は落ち着き、血液検査の値もどんどん良くなっていきました。あと少しで2才という時、たった一粒のピーナッツを食べたことで、喘息の発作を起こして、夜、医者に駆け込むということがありました。初めての発作にすっかり怯てしまった私は、抗アレルギー剤の内服を勧められるままに承諾しました。それからは、風邪などを機にすぐ喘息の軽い発作をおこし、2才4か月の時に、肺炎をおこし入院しました。それが決定的に息子の喘息を悪化させました。2才半から自宅に吸入器を置き、日に3回の吸入治療を始めました。それからは、発作を全くおこさず、皮膚も比較的いい状態を保っています。

 外遊びが大好きで、とても元気で明るく、茶目っ気もたっぷりある息子。3才になり、夏に主人の実家の沖縄で3週間ほど過ごしました。午前中は海へ行き、疲れきって家に戻る途中から昼寝、しっかり食事をして、あとは子ども達で庭で思いっきり汗を流して走り回る、大きな果物や黒砂糖も大目にみて、たくさん食べさせ、ゆったりとした楽しい時を過ごしてきました。海が合ったのか、皮膚はきれいになり、毎日バナナ状のウンチが出ました。義父母もおおらかであたたかく息子をみてくれました。

 私は、はたと考えさせられました。きれいな海、水、空気はもちろんのこと、子どもにとっての基本的生活である、思いっきり遊ぶ、食べる(排泄する)、眠ることの大切さ、自然の中で好奇心を満たし目を輝かせる。こういうことのくり返しが、息子の自然治癒力を働かせる鍵になるのではないかということです。そこで一つの疑問がつと頭をもたげました。抗アレルギー剤が免疫力をおさえる薬なら、自然の中で生活することは自然治癒力をつけるということです。

 お医者さんは、今や薬は息子の体の一部になっているのでまだやめるのは無理といいます。でもそれは、とても恐ろしいことだと思うのです。私は今もう一度、原点に戻り、壱伊先生の所で学ばせていただいたことを思い返し、息子の自然治癒力を最大限発揮できるよう努力してゆかなければと思っています。まず薬をやめる方向に持ってゆき、もっともっと思いっきり外で遊ばせ、新陳代謝を良くし、体中にいい血液を巡らせること。まだ手足が冷たいので、自宅に温泉を運んでもらえる自宅温治にトライしてみようかとも思っています。食物だって、恐れずもっと増やしてゆかなくてはね。今はあまり検査値にこだわらず、元気に生きている息子の、全体の様子を眺めていこう!と思っています。

 私たち家族は喜怒哀楽をぶつけながら楽しくやっています。ふたりがお腹の中にいた時の愛しさがもっと膨れ上がって続いています。

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