ホームはじめての妊娠産婦人科のこと赤ちゃんのこと先輩ママのお話は…妊婦と美容/●サイトマップ

●●●
●●●
●●●
●●●
●●●
●●●
●●●
●●●
●●●
●●●
●●
●●●
●●●
●●●
●●●
●●●
●●
●●●
●●
●●
●●
●●
●●









42

 

近藤久美子

私たち50人の出産体験記/シオン発行より


 とにかく結婚5年目の授かりものでしたので、妊娠とわかった時の喜びはひとしおでした。当時、私は主人とのふたりの生活もそれなりにエンジョイしていたし、仕事も順調だったので、「え?!」という感がなかった訳でもないのですが……。内容的に外出して打ち合わせの多い仕事だったので、病院の先生のアドバイスもあり、妊娠4か月で仕事はやめることに決めました。

 退職してからは、今までの忙しさがうそのようで、お腹の子どものことを思いながら計画的に過ごすことができました。妊娠5か月までは、それまで通っていたスポーツクラブに毎日行って軽い運動をし、読書をしたり生まれてくる子どもの洋服を縫ったり、編んだり、随分有意義だったと思います。ちょうど妊娠5か月も終わり頃、マタニティヨガの教室があることを知り、エアロビクス、スイミングと悩んだ結果、そこへ通うことにしました。その教室では、私にとってはとても得ることが多く、ヨガのみならず、妊娠中の食事や毎日の過ごし方から実際のお産の際のアドバイス、また他の生徒さんの体験談などもうかがうことができ、凝縮された時期でした。

 妊娠するまでは本当に会社と家との往復の生活でしたので、自分の家の周りの地域社会にも疎く、妊娠中に散歩も兼ねて随分歩きました。子どもが産まれてから遊ばせる公園はどこがいいか、活用できる施設は近くにどのくらいあるのかを、お腹の子どもに話しかけながら、自分の足で調べたものです。自由な時間が多くあったので、「子どものためにできることはなるべくたくさん」なんて主人と話しながら頑張っていたように思います。

 出産予定日は平成4年3月8日だったのですが、3月1日、39週目の健診時、それまで順調と言われていたのが、お腹の子どもが小さすぎると突然入院となりました。何が何だかわからず、安静を宣告され、10日間も点滴の毎日でした。「今まで張り切りすぎたんだから、ゆっくりしてくれと子どもが言っているんだよ」と落ち込んでいたところを主人に励まされ、そんなものかと仕方なく、病院でおとなしくしていました。「さあ、いつ産まれてもいいですよ」と先生に言われてから1週間、我が子はこのお腹から出てくる気配もなく、「仕方ないから、明日、一度退院するか」と言われていたその深夜、陣痛が始まり、あれよ、あれよという間に5時間でお産が終了してしまいました。自分で本当に痛みを我慢していたのは、2時間くらいでしょうか。私の場合、入院していたので家族の誰もが知らないうちに我が子が誕生してしまったのです。平成4年3月25日、午前6時27分、2,578グラムの男の子(智仁と命名)、本当に小さくてしわくちゃで…。この時の何とも言えない感情は、この場を経験したものでないとわからないでしょう。

 我が子がお腹から出てすぐ、家族に連絡してくれたのですが、主人は「こんなに短時間で産まれてしまうのか」とびっくり、母は「あらもう産まれたの」なんて他人顔、なんて可哀想な母なんだろうと思うのも束の間、その30分後には病院に来てくれてご対面、この時は、世の中の嫌なことすべてがどこかにいってしまうような幸せな気分でした。

 入院、出産、退院まで丸1か月病院でお世話になりましたが、その間にも私にとっては学ぶことが多々ありました。私は本当に元気な妊娠生活を送り、子どもも元気に産まれてきたんだと有り難い気持ちでいっぱいでした。息子が産まれてからの1週間は病院でおっぱいをあげたり、おむつを替えたり、同室のお友達とおしゃべりしたりと楽しい毎日でした。私のお産した病院は黄疸や体重のチェックが厳しく、母子共に退院できない人が随分いる中、予定通り、4月2日退院できました。

 ヨガの先生に「お腹にいる時より産まれてからが大変なんだから」と常々言われていたのですが、何となく実感がなく聞き流していたのが本当にその通り、退院してからこの方ずっとそのことばを思い出さない日はありません。もともと母乳で育てたいという希望があったのですが、産後2か月くらいまでは、おっぱいが足らず、ビービー泣いている我が子に結構イライラしたものでした。ちょうどその年は冬が寒く、5月になってもなかなか暖かくならず、夜もよく泣いて起こされ、その意味がわからず悩んだものでした。連休明けに実家から自宅に戻り、少しずつ生活のリズムが整っていくうちに母子共に落ち着き、大変ながらも楽しい毎日が過ごせるようになった気がします。主人は帰ってきて息子が起きているとよく抱いていましたが、大柄な体格なので「なんか蚊がとまっているようだね」と言ってよく笑いました。

 母乳、母乳とかたくなになっていた私も、足りなければ人工乳も足しという余裕も出て、*生後3か月の頃には やっとすべての面で落ち着いたようです。おっぱいのマッサージも2か月に1度くらいは通い、毎日の食事も純日本風にする(妊娠中からですが)うちに、母乳の出も順調になり、息子もあまり泣かないようになりました。その後1才くらいまではおとなしくて毎日機嫌のいい子で楽だったように思います。動きは活発で目が離せませんでしたが一緒に過ごす時間は楽しく、幸せでした。

 ところが1才を過ぎる頃から、他方面に活発になり、あのおとなしかった我が子はどこへ行ったのというくらい落ち着きがなくなり、1分もじっとしていられなくなったから大変。もともと寝ているのがあまり好きでなかったので生後6か月には歩行器に乗り、6か月半でハイハイ、8か月半でつかまり立ち、10か月で歩くようになったので目が離せなくなり、同時にその頃から毎日公園通いが始まり、現在2才8か月まで病気の日以外は毎日外に出ている生活なのです。早寝、早起きの習慣をつけていたので夜8時〜9時には息子は眠りにつきますが、その後私は洗濯、次の日の食事の下ごしらえ、日中にできなかった掃除の残りをする毎日で1日がとにかく早いです。

 1才7か月で断乳してからはあまり昼寝をしなくなり、2才を過ぎるとほとんど昼寝をする日がなくなり、我が家の王子様が夜寝るまでは家の中のことは、ゆっくりできる日がありません。自分のこと?そんなものどこかへいってしまってますよ。もうこの2年半、ひとりで出かけた日なんて本当に数えるくらいです。2才を過ぎてからは、10時には公園へ出かけ、午後1時〜2時まで遊んで帰り(もちろん、昼食は公園です)、その後また外へ出かけるか、友達の家もしくは自宅へ友達をよんで遊ぶ毎日。自宅の周辺は幸い自然の多い公園がいくつもあるし、友達にも恵まれ手をかえ品をかえといった具合で変化を持たせて遊ばせています。

 主人も3才までにいろいろなところに連れて行き、体験させねばと忙しい合間を縫っては、男同志で出かけたりもしてスキンシップを図っています。ちょっと頭にくるのは、私と一緒の時はすごく甘えるくせに、主人と息子のふたりで出かける時は、男同志、意志がよく伝わるらしく、すごくいい子だというのです。例えば床屋さん。私が息子を連れて行った時は、2時間大泣きで母子共々髪の毛まみれで帰ってくるのに、主人と行った時はたったの30分、全く泣きもせずおとなしくしていたというのです。大きなアスレチックのある公園なども私も加わり3人で行くと、すぐ手助けを求めるくせに、主人とふたりだと、もくもくとひとりで頑張るらしいのです。いったい私の毎日の苦労は何なんでしょうか? こんなに小さくても男同志がわかるのでしょうか?

 離乳食については生後5か月から本格的に始め、7か月頃には、大根やごぼう、人参、れんこん、こんにゃくなど大きく切って煮たものをそのまま持って食べていました。おかゆが嫌いだったので随分早い頃から軟飯を与えていました。もともとおっぱい大好き少年だったのであまり量的には食べないのですが、食べる時と食べない時の差が激しく、せっかく作ってもほとんど捨ててしまうこともありました。人間ですから食べたい時、食べたくない時があるのは当たり前、話す人話す人、同じようなことを言うので、そんなものかと思うようになりました。(でもそこにたどりつくまでは時間がかかりましたけどね…) 2才過ぎから、今までよく野菜を食べていたのにどうして? というくらい全く野菜を食べなくなったのですが、息子が野菜を食べる食べないに関わらず、「野菜を食べないと大きくならない」とか「風邪がなおらない」とか、毎日言い続けるうちに最近はだいぶバランスよく食べるようになりました。

 もう一つ、2才過ぎから料理に興味を持ったので思いきってコンロの前に立たせ、チャーハンを作ったり、炒め物をさせたりして(本人はただかきまぜるだけ)「自分で作ったのおいしいかなー、頑張って作ったんだから全部食べようね」とかいって食べさせているうち、食に対する興味が増し、それまではこんなもの食べなかったのにというものまで良く食べるようになりました。でもお菓子も大好きです。初めの頃は与える物をかなり吟味していましたが、友達と遊ぶようになるとその規制もきかなくなり、あらゆるものを食べるようになりました。私はお菓子をとるか、友達をとるか悩み、いろいろな友達と遊ばせる方を選んだので仕方ないと腹を決め、アメやチョコ、クッキーなど食べはじめの頃は袋ごと渡し、食べたいだけ食べさせていました。そうするうちにお菓子のバカ食いはしないようになり、またあまり変な物は食べなくなる、「これはごはんのあとにしようね」と言うとその通りにするようになりました。

 マーケットでお菓子を買っても車の中では食べず、「お家に帰ってからね」なんて自分で言うようになってきました。

 おむつについては、1才4か月の頃、その年の夏が始まったので、日中家にいる時はトレーニングパンツにすることから始めました。初めは素直にトイレでおしっこをしたりしていたので、これは結構早くとれるかなと思いきや、何度も前進後退を繰り返しました。2才になったら絶対にとるぞなんて意気込んでいたのがわかったのか、2才から2才3か月の間は最悪、トイレにも行かなくなり、おしっこしてもそれを認めようとせず、着替えるのも拒否、私のイライラはつのるばかりでした。ところが2才4か月になろうという頃、風邪をひき、1週間くらい家にかん詰めとなった時、風邪もだいぶ良くなったので家にいる間はこの際パンツもはかせずそのままにしておこうと思い、「おしっこしたくなったらかえるさん(うちのオマルはケロッピーのかえるなんです)でしてね」といって放っておいたら、勝手にするようになったのです。

 ところがうんちが大変。もともとかくれて誰も見えないところでしていたので、オマルやトイレで私がついているところで、しかも座ってなんかできない、そこでうんちをしそうになったら、おまるをカーテンでおおって、「ここですればママも見えないからね」と言って2〜3回するうちにうんちが座ってできるようになったのです。ここからはもう順調で、うんちは必ずオマルかトイレでするようになり、同時におしっこも失敗がなくなり、気がついたらおむつがとれていたという訳です。これは結構ほかの子にも使える方法ではないかなと思います。2才4か月でおむつがとれ、最大の課題が解決し、私としては「ヤッター」という感じなのですが、今はおねしょで悩んでいます。

 子どものことで悩みがない日はないのが正直なところかもしれません。

  主人は忙しい中、早く帰れる日はなるべく早く帰り、夕食を共にし、息子と入浴、本を読んで寝かしつけてくれますので、そんな日は安心して私はのんびり入浴できます。休みの日もいないことが多い主人ですが、その時々の子どもの成長のポイントを客観的に見て子どもの相手をしてくれたり、私にアドバイスしてくれたりするのでとても有り難いです。私と息子はあまりにも密着しすぎて、よくわからなくなっていますのでー。

 本当に恵まれていると思うのは、祖父母のほかによきアドバイザーがいること(出産してからずっと同じ小児科の先生にみていただいたり、ヨガの先生や母乳マッサージの先生にお話がうかがえること)、自宅の周りに自然が多く、母子共によい友人がたくさんでき、助け合えることです。家族以外にこのことがとても重要なことだと思っていたので、幸せな限りです。

 これから出産される方も、どうぞ自分なりに遊び場、友人、アドバイザー発掘に時間をかけられることをお勧めします。子ども同志のケンカ?毎日ですよ。うちの息子も意地の悪いところがあり、悩みの種ですが……。「そんなことするのは、智君しかいないよねー」と言われるくらい、友達の家でも悪さもするし、いじめもするし、でも周りがおおらかな目で見てくれ、自分の子、他人の子関係なく叱ってくれるので助かります。(と思っているのは私だけかもしれませんが……)

 とにかく活発で外で遊ぶのが大好きな子なので忙しい毎日です。自分でもよく没頭できるなと思うくらい、日中の生活を子ども中心にできるのは、妊娠したのが遅く、遊びも仕事も夫婦での旅行もしたいだけしてきたからかもしれません。だから高齢出産も悪くないなーなんて思います。毎日楽しいですからね。体力的には確かに疲れますけれど……。

 こんな息子も来年の4月からは3年保育の幼稚園通いが始まります。3月25日生まれなので3才になった途端に幼稚園です。どうなりますことやら。

 最後に、これから妊娠、出産される方、どうぞ楽しんで子育てしてください。母親でなければ味わえない喜びや感動、苦しみがありますもの。自分が楽しんで子どもと接していれば、きっと子どもも同じだと思います。子どもの笑顔が疲れを吹き飛ばしてくれますよ。

◆indexへ

UP

Topページからご覧下さい

Copyright2003 Cion corporation AllRight Reserved