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栗原雅代

私たち50人の出産体験記/シオン発行より


 妊娠・出産・育児−女だけに与えられた、特別なすばらしい時期。この事を妊娠中、育児中、そしてその前段階にいる女性にお伝えしたいと思います。現在3才、5才の子どもの母親である私が、妊娠、出産、育児を通してどういう経験をして、なぜ特別なすばらしい時期という思いができたのかお話したいと思います。

 長男が産まれるまで、出産がゴールだと思い、妊娠向け雑誌を読み、そこに書いてある良いということは実行し、胎教音楽を聴き、ヨガをやり、食事に気をつけ、とすべての努力はお腹の子どものためでした。そのかいあって、超安産で出産したものの、その後は想像を絶する大変さ。なにしろゴールだと思っていたらスタートだったのですから。

 夜泣きはひどい。

 昼と夜を取り違えている。

 お乳を飲めばすぐ吐く。

 自分もお乳が出すぎて苦しい。

 睡眠不足で体調が悪く、いらいらする。

 という日々が続き、子どもの成長とともに私の肉体的なつらさはじょじょに減っていきましたが、こんどは振り回されることがどんどん増えてきたのです。長男が1才6か月頃、いわゆる第一反抗期の時期に、第二子を妊娠して、また私が肉体的にもつらくなるということが重なって、結局いつもおこりっぱなしで、子どもを押さえ続けて、気がついた時には、長男は自分を出すということをしない、他人を極端に恐がる、内向する子になっていました。

 公園に連れていっても知らない人がいると入っていけない。図書館や児童館も大勢人が集まるからいや。当然3年保育で入れた幼稚園もうまくいかず、登園を拒否するようになってきました。

 どうして家の子だけこうなんだろう。

 ほかの子たちはあんなに楽しそうなのに。

 幼稚園にいくなんて普通のことなのに、普通のこともできないのかしら。

 毎日行く、行かないの日々が続き、子どもを傷つける言葉を吐き続けるようになりました。

 保健所に相談したり、心理相談のカウンセリングを受けたりもしましたが、自分の中でのいらいらはつのるし、子どもの状態もかわりません。

 そういう状況が続き、もう限界だ、このままではお互いだめになると思った頃、次男の母乳マッサージをやってもらっていた助産婦さんから、「親と子の会」という集まりがあり、育児中のお母さんの悩みを話したりする会だと聞き、わらにもすがる思いで、出かけました。そこで、保健所やカウンセリングでは聞くことのできなかった話が聞けました。

 例えば、私は内向する性格の長男をなんとかしたいと思い、あの手、この手と本やほかの人のやり方を取り入れてきました。しかしその会の中で、内向するというのは、本人が楽だから内向しているのであって、自分がそこから出たいと思わなければ出てこれない。内向させたくなければ、自分はこれではいやだと思うまでほっておくしかないという話を聞きました。私の今までのやり方とは正反対だけど、私にとってなるほどその通りだと思える話でした。

 また初めの頃、次男はその会の間ずっとずっと私にべたべたくっつき、帰りたがっていました。受け入れてほしいんだなと思い、だっこしたり、相手をしたりしても相変わらず、私も話に集中できなくて困っていたとき、母親が今は自分の時間なんだという気持ちをしっかりもてば、この子は自分から何をすればいいのかちゃんとわかるからという話がでてそれを実行したら、実際に回を重ねるごとに私から離れ、自分の世界をもって遊び始めるようになりました。

 今まで子どもに対して常識だと思ってやっていた接し方が違っていたことに気がつきました。

 そして、今まで自分がなんでこんなに子どもに振り回されていたのかがみえてきました。

 私は今まで自分というものを持たずに生きてきました。自分の生き方や生きる目的もなく生きてきました。自分というものがないから、子どもとかかわろうとしたとき、どうかかわっていいかわからなかったのです。

 だから本や他人からの情報の中であの手この手をやってきました。
 それでもうまくいかなかった。私は子ども自身をみていなかったのです。
 ここにいる私の子どもを。

 この子をみないで、一般的なやり方でどうしてこの子とかかわれるのでしょうか。自分を持たないでどうして子ども自身をみることができるでしょうか、ということに気がついた私は、子どもを幼稚園に行かせるとか、思ったことを言える子にするとか、そういうことでなく、ただ自分を持つことを考えました。そう考えてしばらくたってから、長男の登園拒否もなくなりました。

 本当は妊娠前に、いえ、結婚前に、いえもっと以前に自分が産まれてから生きていく中でずっともっていなければいけないことでした。自分をもった上で結婚し、そして妊娠して出産する。なにしろ現在でも出産時の死亡率は0ではないのですから、女は命をかけて子どもを産むのです。

 命をかけてもその相手の子どもを産みたい。

 そういう相手でなければいけないはずです。子どもをああしなければ、こうしなければ、こうだからみんなから遅れてしまう。ああだから普通と違う。そういうことに振り回されて、何の意味があるのでしょうか。

 子どもは逆に教えてくれます。

 そして母親はそれに気づくことができます。

 私は根本的な人と人とのかかわり方を子どもから学びました。人とかかわることがこんなに楽しく、面白いと思ったことはありませんでした。こういうことのできる時期は今後ないだろうと、今、私は子どもとのかかわりを楽しんでいます。私は子どもを持つことで、こんなに多くのことに気づくことができました。これが私のいう特別な、そしてすばらしい時期ということの意味です。

 そして妊娠・出産・育児を通して得たもので、マターナルケアという産後のお母さんの手助けをする仕事を始めました。その仕事の中で多くのことを学び、またこの時期を大変だけで終わって欲しくないという思いで続けてきました。ともかくこの特別な時期をもてたということは、いろいろなことを考え、気づくチャンスなんだと多くの人に伝えたい。

 そんな気持で多くの人とかかわりを持つ中で、いろいろなお母さん方の相談にのる機会が増えてきました。その中で私が感じたことはみんな以前の私と同じということです。

 根本のところがないから、目に見えるところでの状況だけに振り回されているということです。もし今起こっている問題が解決しても、また別の問題で振り回されるだろう。自分自身の根本の部分を考えることが必要だとずっと思い続けてきました。また、いま少子時代といわれてるのに、逆に子どもに関する情報はどんどん増えています。しかし、それを自分でどういうふうに選択、処理すればいいかわからない人が多いなぁと思います。

 結局、自分を持つこと、これが一番大切だと思います。そしてそういうことを話し、考える場がほしいと切実に思いました。

 8年間も専業主婦できた私が仕事を持ち、話し合ったり考えたりできる場所−サロンを開き、自分がやりたいことができるようになりました。何も考えていなかった自分が自分を持つことを考えながら生きていくようになりました。もし、子どもを産むことがなかったら気づかなかったかもしれません。今の私が感じる、楽しく充実した気持ちを多くの人に、妊娠・出産・育児を通して感じてほしいなと願っています。

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