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遠藤美智子

私たち50人の出産体験記/シオン発行より


 5大アレルゲン(ハウスダスト・ダニ・卵白・牛乳・大豆をさす)除去という過酷な条件でむかえた次女庸子の満1才の誕生日。

 思えば昔のことですっかり忘れていましたが、私も少しアレルギーがあったようで、そして次女がもろにその体質を受け継いでしまったようです。5年前の夏、結婚5年目にして授かった待望の長女真由美。妊娠中はマタニティヨガをやり、食事指導もしていただき、いろいろな育児講演会を聞きまくり、ベビー服を縫ったり、温泉に行ったりとけっこう妊婦模範生(?)でした。お産も軽かったようで会陰もきらず産後も上々、心身共に充実した妊娠期間がよいお産へとつながったんだと思います。

 ところがやはりはじめての育児は大変で、最初の2か月はまさに「おっぱい戦争」一日中つかれきった顔でおっぱいベロン状態で赤ん坊を抱いている姿は、周りからみればまさに育児ノイローゼと見えたようで「おっぱいやめろ!!」コールの中でなんとか1才10か月まで完全母乳で育てられたのは、長女が健康体であったためだと思います。まあその後は順調で、小さな事はいろいろありましたが、手のかからない子で、周りからみればわがままで強い子、しつけのわるい子!!かもしれませんが、親としてはのびのびとした子どもらしい真由美が大好きです。そんな長女が幼稚園に入園した満4才の夏に生まれた庸子(主人は長男誕生を望んでいましたが)。

 2人目の妊娠中はけっこうきつく、たべるものもどうしてもかたよってしまい、妊娠5か月目の長女の入園式の夜に子宮けい管ポリープ(子宮の下1/3を占める延長上の部分にできる腫瘍)からの大出血で、10日間の入院。母親が入院しているにもかかわらず元気に初登園していく長女の姿(主人がビデオにおさめてくれていた)には、ほんとうに我が子ながらたくましく成長してくれたと感無量でした。

 退院後も体調がすぐれず、なれない子どもの幼稚園通いとでイライラしどうし。マタニティヨガにも思うように行けず、食生活も忙しい中、どうしてもてっとり早いものにかたよってしまいました。また油絵のグループ展が予定日直前にあったので、絵を描く時間がほしかったし、真由美の長い夏休みを遊ばせるのに、大きいお腹で海へプールへと……。

 それなりに充実してはいましたが、やはりどうしても時間においつめられて心身不安定で、万全の体勢での妊娠生活はおくれませんでした。そして20日ほど早いお産は、長女と同じような経過で破水からはじまり、一時は心音がさがり分娩台にのったら、あっというまにズルズルと胎盤までいっしょに出てきてしまいました。

 産後は体調もよく、母乳もよく出て、2か月まではおっぱいを飲んでは3時間寝てのくりかえしで、とっても楽でしあわせな毎日でした。ところが3か月になるころから顔に湿疹が出はじめて、最初は乳児湿疹と軽く考えていましたが、どんどんひどくなる一方、3か月半には体にも出はじめ4か月を過ぎた頃、丁度年末年始のあたりが最悪!!顔中ボロボロ、おしりもただれ、胸には赤い小さな発疹が無数にでて、足はザラザラ、湿疹の標本のような体になってしまいました。

 お正月も着のみ着のままで茫然とすごしていました。あげくのはてに1月3日から長女は水疱瘡。予防接種もしていないのに幸い発疹は数えるほどですみました。長女があまりにも順調だったので、目の前のボロボロの次女を見ると母としては涙がボロボロ!!もうパニック状態で、ほんとうに死にたいと思う事もありました。顔をかゆがる我が子を一日中抱きっぱなしで途方にくれている時、漢方をすすめてくださる方がいらして、にがい薬を親子で飲みはじめました。

 温厚な漢方医との出会いで心もおちつき「だいじょうぶ、すぐなおりますよ。2〜3か月がまんしてみなさい」といわれて丁度2か月になるころ、体の方はひざの裏側をのぞいてすっかりよくなりました。しかし、顔の方は今一つというところで、なかなか良くなりません。8か月の頃に、今までかわいそうでできなかった血液検査をしたところIgE600IU/ml(IgEは血中免疫グロブリンE、600はその指数。250IU/mlぐらいまでは正常範囲。グロブリン−血漿中のタンパク質)は、食品も13種類調べてほとんどに反応する始末。

 これほどとは思わなかったので大ショック。

 食い意地のはった私としては除去食はとてもできないと思っていましたが、もうこれしかないという思いで除去(厳格食に近いもの)をはじめると、なんと2週間で顔の症状はほとんどきえ、2か月もたつとまったくどこがアトピーというほどまで回復して現在にいたっています。 考えてみると長女が順調だったおかげで、食生活もすっかりゆるんでしまい、主人は痛風と花粉症、長女は滲出性中耳炎、私は主婦湿疹と……、そんな我が家へ次女がアトピーという形で警告をおくってくれたのではと思えるようになりました。この苦しい中をきりぬけた事で、主人も私も親として一つ成長したみたいです。

 育児は妊娠したその瞬間からどんなにつらくとも逃げ場のない大仕事!!もう手はかからないとはいえ、一日中しゃべりまくりの5才の長女を一日中どなりながら、丁度おいたざかりで一時も目のはなせないアトピーの次女の寝しずまった後の静かなひととき、ふたりの天使のような寝顔(おきている時はかいじゅうに見える)を見ると、幸せな気持になれるのが母親なのでしょうか。

 そして私自身もひとりの女性として常に生き生きとしていたいし、やりたい事も沢山あるし、人生、今この時を母として女として大切に生きていきたい。次女の事は今後も不安がいっぱいで、アレルギーマーチ(アレルギー体質を持つ人が成長するにつれて、次々に他のアレルギー症状が現れることが多い。この流れをいう)ということもあるし長ーい闘いになると思いますが、よくいわれる自然治癒力というものを信じていこうと思います。さいわい今のところたいした病気もせず、ごく標準的に発育していますし、今丁度5〜6歩歩きだし、いろいろな芸をやって、毎日家族をたのしませてくれています。

 お正月の頃には今年の夏をこんなおだやかにむかえられるとは思ってもいませんでした。*これもひとえに私の ヒステリーをいっしょうけんめいがまんしてくれた幼い長女と主人、そして周りの方の助けがあってこそのこと。こんなことがあるから、やっぱり子育てってステキ!!

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