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大嶋佳子

私たち50人の出産体験記/シオン発行より


−赤ちゃんができた−

  「子どもは結婚後1年くらいしてからでいいね」と、ふたりの時間を十分楽しんだ私達。でも、いざ子どもを、と思っても当然の事ながら、そう簡単には授からなかった。どうして?と焦ってしまい、目の前が真っ暗になりかけた頃、体温表の高温期が続いていることに気付いた。妊娠が確実になるまで一日一日を祈るようにして過ごした。胸がドキドキして、夜もなかなか寝付けなかった。そして、ついに妊娠。こんなに待ち望んだ赤ちゃんなんだもの、お腹の子を大切にしよう、と決意を新たにする。それにしても、病院で初診の時は恥ずかしかった(内診をしなければいけなかったので)。毎回「母親になるんだから」と、自分を勇気づけてから出かけて行った。母親の強さは、ここが出発点なのかもしれない。

−夢中で過ごした初めての妊娠期間−

 幸い、つわりも軽く、梅干し入りお茶漬けが無性に食べたくなって、かえって太ってしまった(この無性に……は、おもしろい事に毎回違って、第二子は「てんぷらそば」、次は「わさび」だった)。妊娠に関する本を集めて読んでいるうちに、壹伊先生のマタニティ・ヨガ教室の事を知り、安定期を待って通い出した。

 初めての妊娠で不安だらけの私が、そこで胎児や安産のためにはどうしたらよいかを楽しく学べて、本当に幸運だったと思う。胎児には常に呼びかけてあげること、根菜類を多く摂り、朝は硬いもの夜は軟らかいものを食べるという食事法、体を柔らかくするヨガ、精神を安定させる呼吸法などなど、週に1度の教室の帰り道は、とても体が軽く感じられたし、家でも課題のポーズを欠かさずやった。なかでも私のお気に入りは、直径1・5センチはある突起物の付いた足踏み。初めは大変だったけれど慣れると300回でも平気で足踏みができるようになった。足の裏のツボを刺激して、不思議と元気になってしまう。そんなわけで今では、わが家の流しの前においてある。嫌いな皿洗いをする時間が少しでも楽しいものになれば…と。

 胎児のために、と食事のバランスにも特に気をつけ、ヨガ教室の食事指導のほかにも自作の食品チェック表を使って毎日記入していた。これは毎日が理想ではあるけれども、1週間単位でバランスが取れていればいいのではないかという、私の極めて身勝手な独断で作ったものだ。食べた量を1週間を通してグラフ化するもので、今週は豆類が不足しているとか、糖分を摂り過ぎているので控えようとか、献立を考えるヒントにもなった。

 妊娠も後期になって、胎動がはっきり感じられる、あの一心同体感が私は大好きだった。*夫も入り込めない母 と子の楽しみ。昼間、部屋にポツンとひとりいるときだって、「ああもうひとりじゃないんだ」と、お腹をけられて実感できた。そしてもうすぐお産というころになると、無事産めるだろうかと不安を感じつつも、やり残したことはないかどうか、いろんな点に気をまわしてみた。そうして私は、夫が好きな芝居をふたりで最前列で見た。お腹の中でも興奮したのかすごくあばれていた、第九のコンサートは、私の遊び納めだった。しばらくは、がまんして頑張ろうと。

−こんなに大変だったなんて!−

 里帰りをした私は、実家で正月を過ごし、多少太り過ぎてしまったものの無事出産することができた。母親学級とヨガ教室のおかげで、呼吸法はバッチリできていたし、陣痛の間には全身の力を抜いてリラックスしていたので、体力もあまり消耗せずにすんだ。ただ、あの陣痛の痛さだけは想像を絶していた。それまで友達から「腰を木づちでたたかれているような」などと聞いていたので覚悟はしていたものの、どうすることもできなかった。

 目の前にある棒に必死でしがみついて耐えている姿を、少しだけ入室を許可された夫が見て驚き、そして「女の人ってすごいな」と感服していた。あとでご苦労さんと、白いブラウスをプレゼントしてくれたのには、私の方がおどろいて感激。もっとも陣痛の程度、感じ方には個人差があるので、病院に駆け込むときもがまんし過ぎは禁物だ。陣痛がもっと強くなるはずだ、もっと痛いはずだとがまんしているうちに、自宅で産んでしまいそうになった友人がいたので。

 産後に気分が沈みマタニティー・ブルー(育児ブルー)という言葉があるけれど、私の場合沈んでいる暇も無い『マタニティー・ホワイト』の状態だった。退院後「母乳でがんばらなくっちゃ」という脅迫観念に追われ、1時間おきくらいでぐずる赤ん坊にすぐ起こされ、睡眠不足が続いて脳みそに膜がかかってしまった感じなのだ。おまけに、母が育児日記を「しっかりつけておきなさいね」とプレゼントしてくれてぼーっとした頭の私はベトベトになりながらも授乳時間やおむつ替え、便の有無まできちんと記録したのだ。不断はおおざっぱな私が、なぜあそこまでやれたのか、今思うと不思議でしかたない。多分第一子で初めてのことだったからできたのであろう。

 そして思った。

 赤ちゃんを育てることが、こんなに大変だったなんて!

 それまでの私は、胎児をより良い環境の元で育てよう、そして良いお産をしようと懸命になってきた。でも出産はゴールではなかったのだ。「しまった」。

 産後のことを、ちっとも考えていなかったのだ。これからなんだ、まだ、出産というスタートをきったばかりなんだ、と考えたら愕然としてしまったのを覚えている。

 それと同時に、うまく育てられるだろうか、良い母親になれるだろうかと、次々に不安がふきだしてくる。けれども、妊娠中に最善をつくしたという思いが自信になり、きっといい子に産まれてきたんだから大丈夫と、自分で励ましていった。

−それから−

 実家から東京のわが家に戻ってからが、さー大変。もう母には甘えられないので必然的に、父親となった夫に協力してもらう。赤ちゃんには、1分1秒でも長く眠っていてほしいので、家の中は静かに、いつのまにか抜き足差し足で歩いている自分に気づき、苦笑してしまった。

 なにしろふたりにとっても初めてでわからないことばかりなので、やはり育児書を頼りに、親や友達に聞きながら必死だった。公園にいけば同年齢の子の親となら誰とでも話がしたかった。お誕生日が過ぎ歩けるようになると公園の常連となった。そこでは子どもどうしのけんかも起る。その時、親となった私がどう判断し、どう行動するか、すごく人間性を問われているようで、初めはとても緊張してしまった。でも、そこで考え、悩むからこそ、親も共に育っていけるのかもしれない。

 その後、2才半ちがいで次男、さらに4年半後に三男誕生と続き、いつの間にかわが家は、紅一点の5人家族となってしまった。次男が産まれてから、長男の赤ちゃん返りには困ったけれど、それも1年の辛抱。今では良き仲間、良きライバルで、「少しは離れていたら」と言っても磁石のようにまたくっついてしまう兄弟だ。

 そして、現在は三男(9か月)に追われる毎日だ。この子の誕生をなにより喜んでくれたのはやっとお兄ちゃんになった次男だ。「お母さん、直くん産んでくれてありがとう」と、にこにこしながら言ってくれた言葉は、今でも心の中でダイヤモンドのように輝いている。最近は、焼きもちを焼いて意地悪をしてしまうこともあるけれど、それが自然の姿だろう。

 これからも素敵な贈り物を子ども達からもらいながら、共に成長していきたいと思う。

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