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大森智子

私たち50人の出産体験記/シオン発行より


 39才にして初産、そんなことはもうめずらしくない時代ですけれど、やっぱり年を感ぜずにはいられなかったのは、妊娠5か月の時でした。体重増加の曲線もうなぎ昇り、むくみも出てきているのに、つわりを感じてただ横になっていた毎日だったのです。どうかしなくては、と本屋さんで見つけたマタニティ・ヨガの本を頼りに壱伊先生をお訪ねしました。よく通る、響きのきれいな先生のしっかりした掛け声のレッスンを2度程受けた後は、もうすっきり、はつらつとして、どうせ出産するのなら消極的ではなく積極的に、と180度頭を切り換えることにしました。

 それからは、胎教と言う程のことを普通の生活に取り入れた訳ではないけれど、お腹にむかって話しかけたり歌ったり、そしていわゆる五感の刺激をやさしくやんわりと楽しみながらする気になったのでした。母親の楽しめることなら、お腹の子も楽しいに違いない、だからどんなことも楽しんじゃおう、自分の身の上に起こることは………、そんな気持ちになったものでした。

 ですからピアノのレッスンにいらっしゃる生徒さんにも、なぜか急に叱らない、怒らない先生になってしまいました。これはちょっと困ったものでしたが、お腹の子はそんなことにはおかまいなく、好きな音楽を聴きわけて、リズミカルに動く時と、頑なに手足をつぱって嫌がる時と、丸くなって眠っている時と様々に変化していました。

 そんなことでしたから、コンサートには特によく出かけて行きましたし、今のうちに会っておこう、とばかり色々なお友達にもお目にかかりました。

 そのうちに夜寝る時はこの曲、とフランクのヴァイオリン・ソナタに決まってしまい、小さなポータブルスピーカーをお腹にのせてベッドに横になる毎夜、となりましたが、出産後、このCDをかければ大抵ぐずらずに眠ってくれる何よりの有り難い一曲となりました。そのほかに、しょっちゅう聴かせていたバッハの『G線上のアリア』が新生児室での授乳タイムにBGMで流れた時、無心に飲んでいたおっぱいをふっと口から離して、寛太郎は、まだ見えるとも思われない目で天井を見上げたのでした。首を少し動かして、音の行方を追っている様子を見て、思わず「やったあ、やっぱりお腹の中でも聞こえていたのね」と感動せずにはいられなかったのは生後3日目のことでした。

 出産のために入院した時も忘れずに持っていったポータブルスピーカーは、その後ベビーベッドの中に入れて相変わらず大いに役立っております。

 つい最近、4才の夏にはじめてオーケストラの生演奏に連れて行きましたが、椅子から飛び上がらんばかりにして喜んでくれました。その時の演奏曲目のマーラーのシンフォニー第五番。ヴィスコンティの名画『ヴェニスに死す』のテーマミュージックとして流れた、あの美しいけれどもどこか諦観的な、東洋的なともいえるこの曲は、お腹の子どものためというより、母親になる自分が好きで、当時よく耳にした曲でした。そのようなことを一切忘れて、むしろ当日のプログラムのモーツァルトを聴かせるつもりで出かけましたのに、「マーラーが好き」と言われてびっくりしながら、お腹の中にいた頃を思い出しました。そういえば、子どもが産まれた翌年には、バーンスタインが世を去って、その追悼記念番組でマーラーをテレビが夜遅くに流していましたっけ。寛太郎は起きあがって目をぱっちりと開けて目ばたきもしないで聞いてましたっけ。そんなことと、4才の夏のオーケストラ初体験とはどこかで結びついているのでしょうか。

 3才になり、何とか一通りの会話ができるようになってしばらくして、ある日夕食後、ふとくつろいだ時に何とはなしに言ったこと、「ここが痛かったんだよね」と自分のおでこを触りながら、「ぎゅうぎゅうしちゃってね」と今度は両耳を押えて「ママのお腹から出てくる時ね」。

 こんな話をまさかするとは思いもかけなかったけれど、確か2、3才まではどの子も自分の誕生を記憶しているそうだから、とこちらも「そう痛かったの。どうしてかな」と聞き返すと、「トンネルがすべり台みたいになっているの。でも何も見えなかったの」そして頭をソファーのクッションに押しつけて、でんぐり返しのやりはじめみたいな格好をして、「こうやってね」と逆立ちポーズをとったのには全く驚かされました。もしかしたら、子どもの想像力ってすごいのかな、と思ってもみたのですが、こんなにリアルには想像力だけでは言えないですよね。

 それから半年程は、折々お腹の中のこと、出てくる時のこと、出てきた時のことを思い出しては、ふと洩らしていたのですが、4才近くになれば、もうすっかりそのことは忘れてウルトラマン、仮面ライダー、カクレンジャーにうつつを抜かしはじめました。今聞いても、もうもはや何も答えてくれません。

 今、寛太郎の大好きなゴボウと人参とコンニャクをあしたのお弁当のおかずに煮ながら、*この文章を書き終え ようとしているのですが、『神様が与えてくださった命を一生懸命、大切にして、どんな状況に置かれても精いっぱい幸福に生きていって欲しい』と、希う親の気持ちに答えてか、この上なく楽しそうに毎日を過ごしている我が子を見て、ほっと一息つけるようになったことを大変に感謝しています。一方で幼稚園に行くようになってみえてきた、母親の知らない男の子どうしの闘争心や、友情、女の子に対する感情など、女親としてとまどうこともたくさんあるようになり、心配は尽きないのですが、他人への愛情や、配慮ということも含めて、我慢することの愉しみも少しずつ解ってきて、やがては社会全体を見ることが出来るようになって欲しいと思っています。

 音楽を通しての胎教、子育てについて多く書いてしまいましたが、日頃音楽に携わっているために、そちらの方に気持ちが向いてしまうのでしょう。けれども子どもは音楽に限らず、あらゆることを大人の考えもしない方法で、知らないうちに吸収しているのですから、環境をまだ選べない子ども達に、少しでもよい教育の場としての環境を整え、差しのべるのが大人のすべきことのように思っています。

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