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24

 

立石久美子

私たち50人の出産体験記/シオン発行より


  中1の男の子と小6の女の子、12年の時間をおいて産んだ10か月の女の子がいます。上のふたりの場合は年子で、妊娠と育児を同時にしていた、それに管理的な育児の時代だったりして、余り考えないで物ごとをしていたみたいに思います。それくらい忙がしかったということもできますが……。

 12年の間に、妊娠・育児を取り巻く環境がまったく違ってきていることに、今回の妊娠で気づきました。そこで、情報誌を読んだり、自分の過去の妊娠と育児を振り返ってみて、このお産は「楚々とエレガントに」をモットーにしたのです。

 時間の開きはあっても、なにせ過去に経験があります。年齢も重ねて(41才)社会的な知識も高くなっています。知っている部分が大きいだけに、要求度は必然的に高くなります。

「いいお産」をしたいという意味は、まず自然分娩にということと、産後の回復もスムーズにしたい、それに、何よりも「いい意味での自己主張」をしたお産ですね。それには、自己管理も必要ですし、自分の責任の範囲だけはしっかりしなくては。つまりぶざまな、のたうち回るようなお産だけはしたくないと……。

 それだけに、妊娠中の健康管理、例えば体重、食事、運動などは徹底して自己管理しました。運動は、ヨガ、マタニティビクス、スイミングに通いました。「動き過ぎじゃない」と思われる方もいるでしょうが、「妊婦はあまり動いてはいけない」といわれていた時代に、大きなお腹を抱えてジョギングをし、安産であった私です。もちろん医師の許可はもらっています。3種のマタニティスポーツをこなして結果的には、快適に過ごすことができました。それに上のふたりがもう大きいだけに、妊娠と出産に集中できたのも、いい結果につながっていると思います。

 それと変な話ですが、私自身子どもが特に好きではないのですが、3人目を妊娠して、初めて上のふたりを心からかわいいと思えてきました。

 妊娠はだいたい順調でした。ただ、年齢が高いこと、それに伴って分娩の進み具合がどうなるのかには、一抹の不安がありましたが、それも、妊娠が進むにつれて解消されましたし、出産の現場では、経験者であることを実感しました。例えば、この次はどうなるということが、鮮やか過ぎるほどによみがえってくるのです。分娩は、それほど鮮烈な経験でもあるんです。

 分娩は聖路加病院のLDRでした。上のふたりも聖路加病院で分娩したのですが、LDRというのは、初めての経験です。

 LDRは、入院した時の部屋で陣痛から分娩までをしてしまう、それもいわゆる病室的な雰囲気ではなく、ちょうど自分のベッドルームにいるような感じになっています。ですから、分娩室にストレッチャーで運ばれるということもありません。その部屋がそく分娩室に早変わりします。いよいよ分娩の時になり、突然部屋の天井がパカッと割れて、手術の時の無影灯が出てきて、こうこうと灯りがついた時は、思わず「ウワー、ヒロインだー」と歓声を上げたくなりました。ほんとうにスポットライトを浴びているそんな感じです。それくらいリラックスしていたように思います。

 LDRというと、夫の立ち会いが一般的なようですが、私は、分娩はあくまでも女性の神聖な仕事ととらえていますので、夫立ち会いはしていません。夫は、昔のように、今か今かと控室とか廊下で待っている、あの光景が好きなのです。それと今回はLDRだったのですが、別に手術室が嫌いというわけではないのです。たまたまLDRだったというだけです。つまり、自分の考え方がしっかりしていれば、LDRであっても、手術室であっても、助産院であってもいいのじゃないかと思うのです。それが、アクティブなマタニティではないかと思います。

 さて私の分娩は、分娩時間といい、苦しみの質といい、時間といい自分で100パーセントに近く満足しています。「ドラマチックに、かつエレガントに産んだな」という自信のある分娩でした。

 12年ぶりの育児は、思ったより楽に進んでいます。というのは、初めて全部母乳でしていること、もっとも、最初の1か月は大変でしたが、それに、この母乳にしても、出るのかでないのかの心配はありましたけど、「私に限って出ないはずがない」と考えることにしました。その結果水道のようにどんどん出ています。もうとっくに離乳食を始めていますが、それにしても、上ふたりの場合は、ばっちりといわゆる「離乳食」を手作りしていたのですが、これもしていません。

「経験があるから」と言ってしまえばそれまでのことなのですが、マニュアルに沿ってしていた上ふたりの育児は、今考えてみると、必要以上のことを、それもややこしくして育てていたように思います。

 ただ、だからといって決して手抜きをしているわけではなく、自然に添った育児をしている、そんな感じです。

 マニュアルはマニュアルとして、自分たちの生活環境の中で、その中から何を選択して、*何を捨てていくか、 これが大切なことのようです。

 それと、心配事、不安などを抱え込まないこと。マイナス思考ではなく、プラスにプラスに、前向きに考えていくと良いようです。

 私にしても、そう考えることで救われている面がたくさんあります。

 例えば、育児は大変なものなのですが、「たいへんだ、たいへんだ」と考えていくと、すぐにおちこんでしまいます。だから「大変だ」とは考えない。かといって、「とても幸せ」だけでは切り抜けることはできませんが……。とりあえず「疲れるようなものの考え方をしない」「必要以上の心配をしない」ことをお勧めします。

 さて、3番目の子どもを妊娠してから、一番上の男の子は、親離れをしていきました。2番目の女の子は、急速に「娘」になっていきました。子どもは、最終的には親から離れていく存在なのですが、余りにも急なテンポで進んでいく親離れに、いささか戸惑いも覚えました。「親子関係って何」「母親って何」と考えさせられました。

 まだ結論は出ていません。3番目の子どもを育てながら、ゆっくりと結論づけていくつもりです。

 それと、上ふたりがある程度大きくなってからの妊娠は、この子達にとって良い性教育になっているようです。娘がいろいろ聞いてきます。これには正確に答えています。「フーン」とか「ヘー」とか、娘の答は余り手ごたえがないように響きますが、きっちりと、胸に刻んでいるように思えます。これは思わぬ教育効果でした。

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