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07

長峰博子

私たち50人の出産体験記/シオン発行より


 わが家には、朝子、恵美、博達の3人の子どもがいます。とてもにぎやかで、毎日が戦争のようです。結婚して丸9年、妊娠・出産・育児を振り返ってみたいと思います。

 最初の子は4か月位の時に流産しました。妊娠中は以前と変わりない生活を送り、旅行にも行きました。それから1か月余りが過ぎ、少量の出血があり、病院に連絡しました。看護婦さんが出て「家で様子を見るように(休日のため)」とのこと、とっても不安でした。休みが明けて、病院に行きエコーをとったりして検査した結果、「赤ちゃんは動いていない」とのこと、ショック!!

 旅行のことなど話すと、叱られてしまいましたが、最後の一言の「もしかしたら最初から心臓が動いてなかったかもしれませんね」に、そうだったらどうしてもっと早く気がつかなかったのでしょうか、と。それから3か月後主人が気をつかってくれ、ニュージーランドへ連れていってくれました。

 それから妊娠ゴーサインが出たのですが、なかなか妊娠せず、その後半年余りでやっと妊娠。ある妊婦の食事の本の中で、ヨガを知り、「楽なお産をしたい」というのが目的で通うようになりました。一番驚いたのは食事のことでした。1週間食べた物をかき出し、それを全部チェックしてくださり、足りないもの、いらないものを指示され、肉、魚中心から野菜中心の食事に変わりました。むくみやすいので塩分をひかえるだけでなくゆであずきを食べたり、便秘をしないようにケンコウキン(玄米の糠と酵素がミックスしたパウダー状のもの。各種のビタミン、ミネラルを含む)を飲んだり、カルシウムも、牛乳からではなく、小魚、ねりごまなどから摂ったり、食事にはかなり気をつかうようになったと思います。そしてこの時から自然食指向に変わっていきました。

 妊娠中「ヨガ」をするのはとても不安がありましたが、実際に行ってみて無理がなく、つねにお腹の中の子を意識して行動することが、リラックスへと結びつき、とても良かったと思います。体のかたい私でしたが、1回、2回と続けているうちに、だんだん軟らかくなってきたような気がし、またいろいろなポーズも出来たような気がしました。

 妊娠中は貧血、逆子になることもなく健康な妊婦でした。出産は近所の都立病院、歩いて10分位のところです。

 予定日4日過ぎた夜中に時々腰痛があり、トイレに3回も目がさめ、とても熱く寝苦しい夜でした。次の日朝、2、3分ごとに腰が重くなる感じで、軽く朝食をすませ病院へ。外来に行くと「予定日も過ぎているし入院しましょう」の一言。すぐ分娩室にはいり点滴を始める(午前10時ごろ)。少しするとお腹が張ってくる感じが強くなってきました。たまたま看護学校の学生さんがいて、腰をさすってくれたり、お水を飲ませてくれたり、とても親切にしていただき、痛みも和らぎ、精神的にも、心強い気がしました。12時ごろ痛みが強くなり、分娩台に上がりました。

 ヨガで習った呼吸法を思い出し、いきみをのがそうとしているのですが、わりとつらく、この状態がずーっと続くのかなと心配していると「いきんでいいですよ」と声がかかり、ほっと一安心。いきむ時に目をつぶってしまい看護婦さんに「顔の血管が切れてしまうから目を開けて」といわれ、あわてて、目を開けていました。13時3分元気な産声、思ったよりも大きい女の子(体重3,432グラム、身長50・6センチ)でした。お産はわりと楽でしたが、産まれてからが大変。朝と夜が逆転で病院では一晩中抱いていたこともありました。

 母子とも健康で1週間後に退院、家(実家)に帰っても子どもは夜中眠らないことがしばしば。母乳(ミルク)をあげたり、おむつをかえても眠らなかったり、抱いていると眠っているが布団におろすと起きてしまう……。「早く布団で眠って」とヒステリックになるのですが、朝になりかわいい寝顔を見ると夜中の私を反省する毎日でした。

 1か月位すぎても母乳の出は悪くミルクを足していました。なるべく母乳で育てたいと思っていましたので、母乳相談所に通いはじめ、3時間おきに昼も夜も夜中も飲ませました。なるべく「ミルクはあげない」とのことで、母乳を飲んだ後でも眠らずに夜中抱っこして近所を歩きまわることもありました。そのうち母乳もよく出るようになりました。ただ寒い夜中におっぱいをあげるのはとてもつらかったです。そしてしっかり歩くようになった体調のよい日(1才2か月)に断乳。その時はおっぱいに顔をかきました。唖然と見ていましたが、その後はあまりほしがらずにやめることができました。

 それから4か月余りで2人目の妊娠。安定期に入りすぐスタディハウスに朝子を連れて通いはじめました。ベビーカーを持って片道1時間の道中は長いものでしたが、とても楽しく充実してすごせました。上の娘と同様何のトラブルもなく、あちこち出かける元気な妊婦でした。

 2人目のお産は文化の日。朝から少し痛みはあったのですが、朝子が近所のお友達の七五三にくっついていったり、前日から行きはじめた保育園(お産のためにその時だけ緊急に預ってくれる)に持っていくものなど準備しているうちにだんだん痛みが強くなり、朝子を同居している主人の母に預けて病院に行こうとしたら母がいないのであわてて探し、急いで帰ってきてもらい、母・娘・私と3人、タクシーもつかまらず、歩いて病院に行きました。

 私はかなりの痛みで腰をさすっていたので、助産婦さんはただごとではないと思ったらしく、「ちょっと診るから急いで」といって診察すると、「着替えないでいいからそのまま分娩台へ」。なんと10分後には3,756グラム、49・5センチの女の子が産まれていました。もう少し遅れていたら自宅で出産していたかもしれません。後日、「次の時(出産)はもっと早く連れてこないとダメ」と主人の母が助産婦さんに叱られたそうです。

 朝子もまだ2才3か月と手がかかり、恵美も朝子と同じであまり眠らない子で、ふたりで泣いていることも……。朝子を優先しようとすると「恵美を見なさい」と言われたりで、子育てのむずかしさを痛切に感じました。母乳は自然にまかせ「泣いたら吸わせる」をモットーにし、母乳だけで育てることができました。上の子とは違い最後は自然消滅、でもしっかり歩くまで欲しかったら飲ませていました。1才3か月の時、おっぱいに顔をかいて断乳、さみしいくらいあっけなく終わってしまいました。

 主人はひとりっ子、上ふたりは女の子、どうしても自分の分身、男の子が欲しかったようです。3人目が女の子だったらもうひとり……。私も若くないし4人もとても無理だろうと、まずは主治医に「男の子が欲しい」と相談、結果は生み分けをしなくても1/2、しても3/4の確率とのことで、あまりおすすめになりませんでした。

 とりあえず1冊の本を紹介され、その本を読み即実行。まず排卵日を探すのが第一とのことで、4か月間基礎体温をつけました。驚くほどの体温の変化を自分でも読みとることが出来、ゴーサイン、すぐ妊娠、それから健診に行くたびに、「男か女かきいてくるように」と主人が言ってました。8か月ごろエコーをとったので先生にお聞きすると、ちょっと言いにくそうでしたが「間違ったらごめんなさいね、たぶん男の子だと思うわ」との答、主人は大喜びでした。

 3人目の時もヨガに通いました。上の子たちと同じようにしたいと思ったし、食事・運動・呼吸法などさまざまな点で意識することによって、よい妊娠生活、よいお産が出来ると思い2人の娘を連れて通いました。私と一緒にヨガをする場面も見られ、よかったと思います。お腹が大きくなっても娘ふたりを連れてあちこち出かけ、下の娘がねてしまい大変なこともありました。

 3人目のお産は2人目のことがあるので早目に病院に行こうと思っていました。予定日より1週間早い、大雪の降った次の日、今度は日曜日です。朝おしるしがありました。痛みはぜんぜんありません。ただ荷物を持って雪の上を歩くのが怖かったので、主人が仕事に行く前、車で病院へ送ってもらうことにしました。

 休日なので担当の先生はお休み、当直の先生に診ていただき、「少し開いている」とのことで入院、お昼ごろでした。一緒にきた子どもたちは心配そうな顔をしていましたが、まだ産まれそうもないので帰らせました。前回とは違って、ずーっと横になっているので痛みがすすまず、看護婦さんが気をつかってくださり、シャワーをあびたり、病室に足りないものをとりに行ったり少し動くように誘いかけてくれました。夕方7時ごろ主人と子どもたちが来てくれたのですが、まだ産まれてなくちょっとがっかりしたようでした。

 看護婦さんも「今日は産まれないかもね」とおっしゃっていたのですが、家族が帰ってから急に痛みが強くなり、分娩台に上りました。助産婦さんに「なるべく自然に生みたい」と話していたので協力してくださったのですが、子どもが3,646グラム、51・5センチと大きい子で会陰がちょっと裂けてしまったようです。午後9時43分待望の男の子です。お産は軽かったと思いますが、下腹に力をいれすぎ痔になってしまい、お産の痛みより、そちらの痛みが強く、2晩くらい眠れませんでした。

 上ふたりに比べ母乳も順調に出て、飲んでは眠って、何と親孝行な息子だと思っていました。しかし、黄疸が少し出ているのでたくさん飲ませるようにいわれていたのですが、ギリギリの母乳の量だったためか、1週間後の退院の時には「ちょっと危ないね」と言われ、翌日病院に行くと数値があがり、結局3日間ミルクだけ飲ませることになってしまいました。そのおかげで回復しました。その後はミルクを足すこともなく母乳で育てることができました。とても元気で上ふたりはすこし眠てくれたような気がしますが、3人の子育て、目のまわるような忙しさです。

 ただ3人とも丈夫で、高熱を出すこともなく、時々風邪をひいても、咳や鼻水くらいでなおってしまいます。いままでの子育ての大失敗は息子が1才半の時に階段から落ちて下の前歯を2本折ってしまったことです。2、3段目くらいから落ちたのですが、うちどころが悪く根元からブランブランになってしまい、この状態で救急病院に連れて行けば良かったのですが、近所の歯科医院へ。ピンセットでひょいと抜かれてしまいました。後日保健所で、「歯がつく」という話を聞いてとてもショックでした。知識、とても必要なことだと思いました。

 今現在、私の生活は6時前後に起き、朝食、お弁当づくり、8時に上の娘を送り出し、9時前に下の娘を自転車で幼稚園(20分位)に送り、家に帰り掃除、それから午前中息子を公園(児童館)に連れて行き、1日はママさんコーラスに参加し、それから、昼食を食べ、1時半ごろまで洗たく物をたたんだり夕食の準備をしたり、買い物をしたり、それからまた自転車で下の娘をむかえに行き、今度はスイミング、体操、バイオリン、などのおけいこにつれて行き、帰ると夕食、お風呂に入れ、洗たく、と眠るまで大忙し。子どもに本を読んで聞かせ、それが終わると、子どもたちと一緒に寝てしまう、あわただしい忙しい毎日を送っています。

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