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06

K・Y

私たち50人の出産体験記/シオン発行より


 37才で初産の時は、妊娠中毒症をおこし入院生活のまま帝王切開で出産しました。その時、三か所の子宮筋腫の手術もしました。

 40才で第二子を妊娠した時は、今度は自然分娩をしたい。そのためには妊娠期を健康に過ごせば自然分娩が出来るのではないかと思いました。

 それで、妊娠初期から血液の流れを良くする目的で漢方薬の「当帰芍薬散」(貧血、腰痛、全身倦怠、疲労感に適応する漢方薬)をお産の日まで服用しました。動悸、息切れ、めまい、貧血の予防に。気分の落込んでいる時などに服用すると私はたちまちの内に元気になる気がして役立ちました。もう一つ、三陰交のお灸(脛骨の後ろ側、足首の少し上にあるツボにすえるお灸。男女生殖器疾患、月経不順、月経困難などに効果)も続けました。

 つわり、むくみ、妊娠中毒症の予防と陣痛が軽くお産に要する時間も短かいとの事で、病院で一度お灸をしてもらってからお産の日まで毎日すえる事にしました。初診の時にお医者様から、高齢でその上、三か所手術しているので2度目も帝王切開だと思ってくださいと言われて、更に良い妊娠期を過ごせる方法は無いものか探していると「太らないお産の本」(文化出版社)に出くわしました。その本の中で壱伊スタディハウスの事を知ったのです。

 早速、電話で問い合わせをして、母胎育成クラスというのがあることを知り、妊娠期を健康に過ごすためには「コレダ!」と感じました。その上、一度帝王切開した人の全員がこのクラスを受講して自然分娩している実績のあることもわかりました。

 私は妊娠5か月の2週目に母胎育成クラスに入会しました。自宅から教室まで小1時間はかかるのですが、そういうことも余り気になりません。当初は、他の生徒さんは私より10才以上も若い人ばかりで、果して40才で手術三か所している私は大丈夫だろうか?と思ったものですが、希望は捨てずに、とにかく毎週1回のクラスには通いました。

 妊娠4か月から7か月までは「前期」のクラスです。この時のポーズは修正(ゆがみなどを直す)が中心です。ポーズをすると私の体は相当ゆがんでいることが解りました。どこが歪んでいるか、自分自身で知ることが出来ました。例えば、右腕を上にあげて耳につけると楽につきますが、左腕はヨシ!と意気込んで伸ばさないとつかないのです。これで左肩が下がっていることが解りました。

 体は一体で成り立っているわけですから、左肩が下がっているということは、背骨もカーブし、骨盤も偏よっていて、あげくは脚の長さも違っているのです。このような体型で、腹部が大きくなると、全てに負担がかかって、妊婦さんに付きものの「腰痛」が生じてくるのも当然だと理解出来ました。

 修正しながらポーズをしていくと、次第に体の歪みが取れて、軽くなり、呼吸も楽にできるようになりました。運動は苦手と思っていたのですが、ポーズをやっていくと意外と、自分の体も動くことがわかり安心しました。そして、時には体が無いような感じすら憶えることもありました。チョット得意になっていた頃、壱伊先生から「Kさんの身体は柔らか過ぎて支障がでるタイプ……」と言われて、当初は何故?と思ったこともありました。 ゴムが伸びきったような柔らかさではなく力が抜ける柔らかさが、体にとって良いことも、ポーズを重ねるに従い理解できました。

 呼吸については、今まで何の知識もありませんでした。ただ、ラマーズ法の中で安産に役立つ呼吸法があるのを知っているくらいでした。クラスを受けて体で解ったことは、人は生誕時から呼吸はしているものの、果してその呼吸の仕方は正しいかどうかということ、そしてその疑問すら持たないということに気付いたことです。正しい呼吸の仕方が身に付くと、心臓動悸もなく、神経は安定してきます。少しずつ私は自分の体に自信を持ち始めました。鼻から息を吸うということを知っている人は、果してどれだけいるでしょうか、「前期」での呼吸はまた、妊婦特有のものではなく、これから健康であるための呼吸の仕方である事も知り、何か「得」をした気になったものです。

「食事指導」も、それほど無理が伴う難しい特殊なものではなく、ひと昔前の人の食に少し現代風が加わったものです。曲りなりにも指導されるのを続けていると、体調が良い事に気付きました。長男の時は、今頃、ベッドの上でゴロゴロしていた事を思うと嘘のような生活を送る事が出来ました。体重がそれほど増えないのに健診で胎児は順調に育っていると言われて、これも不思議な気持ちでしたが他の生徒さんも同様で、貧血も蛋白も糖も便秘もないので、これで正しいのだと納得しました。

 妊娠8か月以後は「後期」です。色々と問題が生じやすい時期に入って来ましたが、前もってどういう状態になるかクラスで知らされていましたので、それほど不安がありませんでした。

 私の場合は、初産でさんざん苦しい思いをしましたから、それと比べると楽しいことばかりでした。「後期」に入って、ポーズの中で眼を訓練する事が2〜3回ありました。いったい、妊婦に眼のポーズは必要なのだろうかと疑問を持ちましたが、ポーズをしていくと呼吸が楽に大きくできるようになる事がわかりました。分娩の時に必要な、大きくて強い呼吸がスムーズに出来るようにするために、眼のポーズがあったのです。この頃からご近所の人が、「エッ9か月、お腹、小さいのネ!」と言われて自分のやっている事が正しいと思いました。

 他の生徒さん同様、私も無事に臨月に入った頃、お医者様が、「この調子でいけば自然分娩できるかも知れないネ!」と言ってくださいました。ますます自信がついてきました。予定日が近づくにつれ、私の意識は「当然、自然分娩する」に変わっていきました。

 病院は、初産の時にお世話になった同じ病院に決めました。ですから健診の時、今度は自然分娩を希望しますと言うと、前のことを知っている看護婦さんが疑いのまなざしで、激励をしてくださったのが印象的でした。

 いよいよ出産が近づいた9月4日の朝方、少しお腹の痛みがありトイレに行ってみると出血が少量ありました。それ1回で痛みも消えました。ちょうどその日は健診日でもあり、電車とバスを乗り継いで都心の病院に出掛けました。

 健診の時に、痛みが1回あったことと出血があったことを告げると「このまま運よく陣痛がつけば産むことが出来るかも知れない。今夜は、私の(担当のお医者様)宿直の日なのでこのまま入院してみませんか」と言われました。私も「初産の時から私の体のことをよく知ってくださっている先生の時にお産をしたい」と思っていましたので、喜んで入院することにしました。

 入院はしたものの、お医者様からは出産間際まで、「前回は帝王切開のうえ三か所子宮筋腫の手術をしているので、どちらかと言うと今回も帝王切開の方が安全です。自然分娩希望ですし、子どもも小さいし、体調も良いので希望通り出来るかも知れないが、いずれにしろ、子宮口の開き具合を見ながら決めましょう。でも途中で手術になるかも知れませんので承諾書を書いておいてください」とも言われました。

 入院した昼過ぎに油薬と子宮口を軟かくする薬を1粒飲んで、3時頃から5分間隔の弱い陣痛がやってきました。夕食を食べて夜10時頃から次第に痛みは増してきたのですが、診察では子宮口が3センチくらいしか開いていなく、「明日の午前中です」と言われました。夜12時頃、破水し、やっと朝を迎える頃には短い周期と強さで本格的な陣痛がきました。出産2回目とはいえ、陣痛の体験は始めてのことです。7時の朝食を持って分娩台に向かいましたが食欲が全然ありません。再度診察があり「お昼頃でしょう」との事。7時30分・8時30分・9時30分と3回子宮口を軟かくする薬を飲むと、10時にはもう我慢できないイキミがきました。

「子宮口は全開で頭が見えます」との看護婦さんの言葉に、私はクラスで習った呼吸をする事で一生懸命でした。教室でポーズする時の吸って吐いての呼吸は、すっかり私の身についていてか、看護婦さんから「呼吸の仕方は上手です」とほめられたくらいです。

 あまりイキムと子宮の破裂をおこすかも知れないのでイキミを少なくするように、少し吸引でしましょうとお話があり、点滴を打ちました。次のイキミがきたときは出ますと言われ、結局、2回ぐらいのイキミで女の子を産みました。

 振り返ってみますと、前のことを知っていた看護婦さんも、「エッ!今度は自然分娩したの」とアキレ顔で言ってくれたように、私は希望を持ち続けたことがよい結果を生んだのだと思っています。その希望を実現させるために、色々の努力をしたんです。このことは、それからの私の人生にも大きな力と教えになりました。

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